五百羅漢 天寧寺

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天寧寺

天寧寺(てんねいじ)は、京都市北区にある曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦如来、山号は萬松山(ばんしょうざん)です。
寺町通沿いにあるこの寺は、比叡山の眺望を一幅の絵のように見せる山門「額縁門」と、江戸時代の茶人金森宗和の墓があることで有名です。
城下町を一望できる丘の上にある曹洞宗の寺には、秋になると萩の花が咲き、別名萩の寺ともいいます。

曹洞宗

彦根城を望むことができる里根山の中腹に曹洞宗の禅寺、天寧寺があります。
もともとは井伊直政公の実母をまつっていた崇徳寺(すうとくじ)を移築したといわれ、1811(文化8)年に本堂が建立されました。

歴史

その後、五百羅漢像が安置されるわけですが、天寧寺に羅漢像を納めるようになったのは悲しい理由があります。
井伊直中(なおなか)が腰元若竹(わかたけ)の不義をとがめ罰しました。
その後相手が自分の息子とわかり、自分の過失を認め、腰元と初孫の菩提を弔うために創建したといわれます。
本堂は簡素な造りですが、建立当時の特徴がよく表われています。

ハナの木

直中公は自らの過ちを大変苦慮し、聖徳太子お手植えの霊木といわる「ハナの木」(現在は国の天然記念物)で観世音菩薩をつくらせ、また、京の名仏師駒井朝運に500体の羅漢像を彫らせ羅漢堂に安置したのでした。
(羅漢堂の建立は1828(文政11)年) 羅漢堂には中央にお釈迦様とその周囲に十大羅漢像、さらに壁3面にわたって取り囲むように小さな羅漢像が500体とそれより少し大きな羅漢像が16体、全部で527体が安置してあります。

羅漢像

堂内に足を踏み入れるとたくさんの羅漢さまに驚きます。
あたかもこちらを見ているようでもあって「亡き親、子供に会いたくば、五百羅漢の堂にこもれ」と言われ、自分のなくなった肉親に出会えるといわれている。
確かに羅漢像一つ一つのまなざしはどこか優しさをも感じられます。

木造五百羅漢

境内の十六体の羅漢(らかん)像は、16ケ国の大名から贈られたものといわれています。
京都の名工駒井朝運(こまいちょううん)に刻ませた木造五百羅漢(ごひゃくらかん)は、「亡き親、子供、いとしい人に会いたくば、五百羅漢にこもれ」と云われるほど、必ず自分の探し求める人の顔があるといいます。
庭は直弼(なおすけ)好みの借景の石州流庭園で、羅漢堂の東に地蔵像があり、山門脇に直弼の供養塔や直弼の参謀格だった長野主膳(ながのしゅぜん)の墓、たか女の碑などが寺院内にあります。

別名萩の寺

城下町を一望できる丘の上にある曹洞宗の寺。
秋になると萩の花が咲き、別名萩の寺ともいいます。
本堂は簡素な造りですが、建立当時の特徴がよく表われています。
境内の十六体の羅漢(らかん)像は、16ケ国の大名から贈られたものといわれています。
京都の名工駒井朝運(こまいちょううん)に刻ませた木造五百羅漢(ごひゃくらかん)は、「亡き親、子供、いとしい人に会いたくば、五百羅漢にこもれ」と云われるほど、必ず自分の探し求める人の顔があるといいます。
庭は直弼(なおすけ)好みの借景の石州流庭園で、羅漢堂の東に地蔵像があり、山門脇に直弼の供養塔や直弼の参謀格だった長野主膳(ながのしゅぜん)の墓、たか女の碑などが寺院内にあります。

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所在地マップ

【所在地】滋賀県彦根市里根町232

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