太宰府天満宮

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梅の名所

太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は、福岡県太宰府市にある神社で、旧社格は官幣社で、現在は神社本庁の別表神社です。
神紋は梅紋であり、菅原道真(菅原道真公、菅公)を祭神として祀る天満宮の一つ(天神様のお膝元)となっています。
初詣の際には九州はもとより日本全国から毎年200万人以上の参詣者があります。
現在、京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として篤く信仰されています。
学問の神菅原道真の廟所で天満宮の境内には、道真がこの地に「左遷された時、京都から飛んできたとされる飛び梅」の木があるほか、196種、6,000本ほどのウメがあり、ウメの名所としても知られています。
参道では梅ヶ枝餅と呼ばれる名物の焼き餅を販売しています。
1月の鬼すべ、9月の神幸祭はにぎわいます。

菅原道真公

919年(延喜19年)、左大臣藤原仲平が勅によって社殿造営を行いました。
数度の炎上を経た1591年(天正19年)に小早川隆景が再建します。
五間社流造り、檜皮葺で、正面には唐破風状の向拝が付く、桃山時代の豪壮華麗な様式で、右には飛梅、左には皇后梅が配されていて、現在国の重要文化財として指定されています。
太宰府天満宮の祭神である菅原道真公は、当代一流の学者であり、優れた政治家でもありました。
その生涯は国家と天皇家のために命をかけ栄達を極めた一方で、57歳の時、時の左大臣藤原時平の讒言により大宰権帥に左遷となります。
大宰府下向の跡は配所であった榎寺から一歩も出ることなく、約2年後、無実の罪が晴れることなく59歳で逝去しました。
その後、菅公の名誉挽回に努め、正一位太政大臣を追贈すると、菅公は天満大自在天神として人々の尊崇を集めるようになっていきました。

境内と外観

境内には、漢字の「心」の字を象った池に掛かる御神橋三橋があって、手前から過去・現在・未来を表し、三世一念の仏教思想を残した物と伝わります。
この橋を渡ると心身ともに清められるとも謂われています。
楼門は重層の入母屋造り、檜皮葺の二重門があり、全体は朱塗りされ、堂々たる風格にあふれた佇まいが見事です。
慶長年間(1596~1615年)に石田三成が再興しましたが明治時代に焼失、1914年に再建されています。
梅にちなんだ焼餅「梅ヶ枝餅」は有名な名物の甘味として知られており、参道を歩くと、数多くの店がにぎやかに建ち並んでいます。
天神様に縁ある鳥「うそ」の人形を、紫蘇入りの牛皮と共に納めた「うその餅」、大宰府政庁跡より出土した「鬼瓦」を模した「鬼瓦もなか」など、由来ある縁起ものの土産ものが多く揃っています。

周辺の観光

付近の観光地としては、「だざいふ遊園地」で太宰府天満宮の敷地内にある遊園地です。
子供向けの遊戯施設が20種類以上そろっていて、ほとんど身長、年齢制限がないので、幼児が十分に楽しめる遊園地です。
「太宰府南画美術館聴松園」は、太宰府駅から徒歩1分、太宰府天満宮や参道に隣接する美術館で、幕末から平成までの太宰府で活躍した町絵師達の絵画や、町絵師達が所有していた美術品・調度品を展示しています。
美術館の建物は町絵師が暮らした大正15年築の古民家を改築し、ガラス越しではなく直接作品を見れることと、畳の感触と匂いを大事にしています。
また庭にも珍しい物があり、展示品の間から探してみることができます。
展示内容は3カ月ごとに入替えをし、お盆やお正月、お節句等には、期間限定の展示も行っており、四季折々の作品をお楽しめます。
なお、15名以上の団体の方や、バスの駐車を希望される方は事前にご予約が必要です。

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所在地マップ

【所在地】福岡県太宰府市宰府4−7−1

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