中城

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概要

中城城(なかぐすくじょう)は、沖縄県中頭郡北中城村・中城村に存在した日本の城で、15世紀の琉球王国・尚泰久王代、護佐丸のグスク(城)として知られます。
城壁の増築により現在みられる規模になったと考えられます。
中城城は当時貿易港であった屋宜港から2キロメートルほど離れた標高約160メートルの丘陵上にあり、中城村の北西から南側に伸びていく丘陵の東崖縁を天然の要害とし、グスクの中で最も遺構がよく残っていることで知られています。
石垣の上に立つと西に東シナ海、東に中城湾(太平洋)、さらには洋上の島々まで見渡せます。

歴史

14世紀後半頃迄に先中城按司(さちなかぐずくあじ)が数世代にわたり南の郭、西の郭、一の郭、二の郭の主要部分を築き上げ、1440年に読谷の座喜味城から移ってきた護佐丸盛春によって、三の郭、北の郭が増築され現在の形が完成したといわれます。
増築されたその部分の城壁は「相方積み」という高度な技法で積み上げられていて、また、裏門以外に一の郭の2つの城門がアーチ式門となっていることから、その時同時に殿舎のある一の郭の城門をアーチ式に改築したと考えられています。

歴城の構成

中城城は連郭式の山城で、六つの郭で構成されています。
城壁は、主に琉球石灰岩の切石で積まれており、石垣には野面積み(南の郭)、布積み(豆腐積み、一の郭、二の郭)、あいかた積み(亀甲乱れ積み、北の郭、三の郭、物見台)が見られ、1853年に来島したペリー提督も「要塞の資材は、石灰石であり、その石造建築は、賞賛すべきものでありました。
石は…非常に注意深く刻まれてつなぎ合わされているので、漆喰もセメントも何も用いていないが、その工事の耐久性を損なうようにも思わなかった」(日本遠征記)と記し、その石垣のすばらしさを讃えています。

グスクの石積み

グスクの石積みには大きく分けて、野面積み、切石積み(布積み、相方積み)があり、中城城跡では、この3種類の石積みを一度に見る事ができます。
「野面」とは、加工していない石の事で、その名の通り、自然の岩や石をそのまま組み合わせる、最も古い技法です。
「布積み」とは、直方体に加工した石を、一段ごとに高さを揃えてブロック状に積み上げるもので、門の周辺にもこの技法が用いられており、大きな石を積む事で強固に仕上がっています。
「相方積み」とは、石を多角形に加工し、互いに噛み合うように積む技法で、強度と耐久性に富みます。
護佐丸の時代に築いたとされる裏門に面した三の郭と北の郭に見られます。

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所在地マップ

【所在地】沖縄県中頭郡北中城村字大城503

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