福井城址

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福井城

福井城(ふくいじょう)は、福井県福井市にあった城で、城郭の一部が現存します。
形式は平城で、本丸と二の丸の縄張りは徳川家康によるものとされます。
江戸時代には福井藩主越前松平家の居城、城下町として栄えました。

歴史

福井城は、徳川家康の二男・初代福井藩主・結城秀康が慶長11年(1606)に築城し、約270年間17代にわたり越前松平家の繁栄の舞台となった名城。
築城当時は高さ37m・四層五重の雄大な天守閣と三重の堀をもっていたと言われますが、大火で焼失しました。
現在では石垣と堀の一部だけが残されています。
また、福井の名の起こりとなったという「福の井」と呼ばれる井戸跡が天守台下にあります。
福井城は築城に際して、徳川家康が建物や城門などの配置を決める「縄張り」をしたと伝えられています。
北陸の押さえとなる福井を治めるため、徳川政権が最も信頼できる人物として、自身の次男である結城秀康に領地を与え、そして築城時の「縄張り」も家康自ら行ったといわれます。
それだけ家康が福井の地を重要に考えていたことがうかがえます。
秀康は福井に入りすぐに築城に取りかかり、約6年の歳月をかけて城を完成させます。

天守

福井城は天下普請によって築かれた城のひとつで、本丸には望楼型4重5階の天守が建てられていました。
天守の高さは28m、天守台を含めると37mの規模を誇っていました。
この天守は白漆喰総塗籠の外壁仕上げで、最上重には、外廻縁高欄と西面に向唐破風があり、元和大坂城天守に見られるような配置に破風が並べられていたとされます。

騎馬石像

結城秀康は徳川家康の次男で、「関ケ原の戦い」の翌年にあたる1601年(慶長6年)に越前68万石を与えられ入国し、福井城を築城しました。
この騎馬石像は、2002年(平成14年)4月に秀康の入国400年を記念して、3800万円かけて建立されたもので、ひとつの石で仕上げられています。

瓦御門跡

瓦御門跡は福井城本丸の正面出入り口で、御門(ごもん)と瓦御門(かわらごもん)から成っていました。
御門は御本城橋(ごほんじょうばし)を渡った北詰(きたづ)めにありました。
両側の柱の背後に小屋根を突き出す高麗門(こうらいもん)という形式で、その柱跡は今も石垣に残っています。

御廊下橋

御廊下橋(おろうかばし)は、歴代の福井藩主が登城する際の専用橋として使われていた橋です。
福井城の築城400年を記念して、2008年(平成20年)に復元されました。
完成した橋は、橋脚にクリ、上屋部分にヒノキやしっくいを用いています。

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所在地マップ

【所在地】福井県福井市大手3−17−1

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